杉原千畝の記念館SUGIHARA HOUSEを支援したい
リトアニアのカウナスにある、旧日本領事館であり杉原千畝の記念館のSUGIHARA HOUSEが存続の危機に面しているらしい。
この旅行が出来ない状況で訪問客(85%は日本人)が激減したためだ。
旅行会社の社員有志と記念館を運営する「杉原”命の外交官”財団」というNGO組織が共同でクラウドファンディングを立ち上げたという記事を読み、微力ながら支援した。
ついこの前の記事でも、お気に入りのカフェが自粛期間中に閉店してしまってショックだったと書いたばかり。
人出が減った中でこうした危機に直面しているのはこの記念館だけではない。
様々な業界、様々な職種の人がそれぞれ困っていて、神でも国の指導者でもないただの20代会社員の私は全てを救うことは出来ないけど、助けられる範囲で支援したいと思う。
並べるのは大変おこがましいが、杉原千畝も「命のビザ」を発行していた時、きっとそういう気持ちだったんじゃなかろうか。
この記念館に特別な愛着があるのは2年前に訪問したから。
ヨーロッパ留学中、帰国日が迫りお金も時間も限られていた中どうしてもバルト三国に行ってみたくて、かなり駆け足で一人旅行した。ラトビア・エストニアは首都しかほとんど見ることが出来なかったけど、リトアニア滞在中はこの記念館にも行くために首都のヴィリニュスからカウナスまで電車で移動した。
やっぱり杉原千畝の知名度のおかげで日本人観光客が定期的に来るからなのか、ヴィリニュスで泊ったホステルでオーナーと会った時に「日本から来た」と伝えたら笑顔と握手で歓迎されて、「じゃあカウナスにも行ってみてね!」みたいなことを言われたことが記憶に残ってる。
首都も静かだったけど、カウナスは更に静かな町だった。
日本から何千キロも離れた場所に来ていることを忘れそうになるくらい長閑な路地を歩いていたら、この記念館に辿り着いた。
こんなに静かな場所にたくさんの難民が文字通り命運のかかったビザを取りに押しかけていたなんて信じられなかった。
小学生の頃本かマンガからでしか学ばなかったことがもっと鮮明なイメージとなっただけではなく、杉原千畝の功績を可能にした周りのオランダ人外交官の存在についても知ることができた。
当時読んだ話は杉原千畝のことについてであったけど、その「命のビザ」が日本を通過するためのビザであって最終目的地はオランダ領キュラソー島だったということや、難民がキュラソー島に渡ることを許可した外交官たちの存在を、恥ずかしながらよく知らなかった。
日本の外務省からの許可なく、独断で目の前の人々を救うことを決意し実行した杉原千畝は間違いなく英雄だと思う。
でもこの記念館は、日本ではあまり語られない杉原千畝の周りの英雄たちについても(日本語で)知ることが出来る貴重な場であって、迫害されたたくさんの人々を救った英雄たちの一人として杉原千畝を見ることができるようになる。
非常事態に陥った時自分の保身を第一にするのは自然なことかもしれないが、他人に言いがかりをつけて攻撃的になる人すらもいる中で、自力で人道的な決断をすることの出来た人たちもいることは覚えていたい。
そういうことで、個人的な思い出の場所がなくなってほしくないという気持ちと歴史的・文化的に大切な場所がなくなってしまわないことを祈ってクラウドファンディングに参加した。
まだあと2週間と少し支援を受け付けている。どうか目標金額に届きますように!