情熱の有無
昨日の記事で「食事も身だしなみもどうでもよくなってる」と書いたものの、よく考えたら、元からそれらについて大したこだわりがないということに今更気づいた。だから正確には「疲れているからより一層どうでもよくなっている」と書くべきだった。
こだわりがないというのは必ずしも好き嫌いがないという意味ではなく、それにたくさんの時間やお金をかけるほどの情熱や執着はないということ。
今まで無意識だったけど、自分がそれに執着があるかないかを自覚することで余分な力が抜ける気がする。
20代に入ってから年相応の見た目が何なのか真面目に悩んだこともちょっとだけあった。
「ちょっとだけ」というのは、悩んだところでファッションとかメイクに情熱をもってないために、そのことについて考えることすら面倒臭くて結局「やっぱどうでもいいや」に辿り着くからだ。
そんな性格なのに無意識に何かからのプレッシャーを感じていたのかもしれない。
どうでもいいんだからもう悩むのもやめたいと考え始めていた時に偶然この記事を見つけた。
おしゃれをする自由はあります。だからおしゃれをしない自由もあります。
おしゃれ圧力なんか無視して、おしゃれしたい人は好きなときにおしゃれしましょう。おどされてやるのと、自発的にやるのとでは楽しさが違います。
ファッションに関係した職業の方がこういう言葉を発信しているとすごく救われる...!
この記事を読んだら、何回か見た目のダサさを笑われたことがあることを思い出した。その瞬間はちょっと悲しくなったんだけど、そういえば深刻には傷ついていなかった。
割とどうでもいいからこそ、そう酷くは落ち込まなかったんだと思う。
(とはいえ、からかわれるのは嫌だけど)
おしゃれをしない自由っていう表現もいいね。
この記事を読んで、個人的に執着のないことに対して時間やお金を無駄使いするのはもうやめようと踏ん切りをつけることができた。
自分がやりたいことに時間を割くことといえば、先月読んだ『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』という本のこの部分が印象に残っている。
まず「どんな仕事なら人に止めろと言われてもいつまでもやっていられるのか?」を試行錯誤してください。
この本のテーマは仕事だけど、この問って生活全般において大事な気がする。
他人からの言葉も厭わずにやりたいのかどうかを意識して、やりたいことをやるためにそうでないことはとっとと片付けよう、という本だった。
自分のこだわりの有無を無視して「世間的に」やるべきことをどれも平等に頑張ろうとはせずに、緩急をつけるような時間・お金の使い方を心掛けたい。