助けを求めるのが難しい
助けを自ら求めるのが個人的に結構難しい。
仕事中もそれ以外も、誰か助けてと願う瞬間はあるのにうまくそれを周りに伝えられない。
何がわからないのか、自分にとってどうしてそれが問題なのかを言語化することがまず簡単じゃないことがある。同じ場所で同じものを見ているわけではない他人に文字か音声だけで伝えることはますます難しい。
さらに、助けを求めた相手が負担や不満を感じないように精一杯配慮もしないといけない。
大人が周りに助けを求めることと、小さい子がわんわん泣いて年長者を呼び寄せて状況を察してもらって解決してもらうことは全く違う。それは当然だろうが、恥ずかしながら自分はこの点に関してはあまり成長できてないようだ。
恥ずかしながらと書いたけど、まさにその恥ずかしいという気持ちも助けを求めにくくする要因のひとつだと思う。
こんなこともわからないと思われるのが恥ずかしい、もしできないことについて責められたら恥ずかしい。そういう見栄っ張り。
ただ、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥ということで、なんとかそういう感情は打破することができる。
うまく乗り越えられないのは、助けを求めたところで助けを得られる自信がないということだ。
仕事の研修期間中何が一番辛かったかと言えば、周りに質問をすること、助けを求めることだった。
あれこれ考えたけどどうにもわからなくて何とか質問にまとめてみた結果、誰も返事をしてくれなかったり(それでも既読はついていく)、逆に「どうしたらいいと思う?」と聞き返されたりしているうちに、もう質問をすることが無駄に思えてしまった。
自分の意見をできるだけ簡潔にまとめた上でアドバイスを請う方法をすぐに身に付けたものの、それでもなお、研修期間の「教育」のためなのか、どうするべきだと思うかと聞き返されることが頻繁にあった。まるでこちらが何の考えも無しにただ馬鹿みたいに問題を丸投げしていると思われているように感じた。
考えたり膨大な社内wikiや過去のメモを漁っているうちも時間はどんどん過ぎて締め切りが近づいてきて焦りも出てくる。聞き返されてまた考えてとかやってる場合じゃないと思えてくる。
挙げ句の果てに、締め切りを守ろうという必死さがないとか自分で考えようとする力がないと言われた時は、正解がわからなくなって完全に混乱した。
6か月目に入った今ならまだしも、最初の 3ヶ月くらいはそれが辛くて仕方なかった。どうしたらも何も、選択肢すらわからないから悩んでいた。
経験者は自分の手札が何かを知っているので、場面に合わせてどのカードを選ぶべきかというステージから考え始める。新人は手札を持っていることすら知らないこともあれば、もっている手札の意味をよくわかってないこともあるので、場面ごとに自分がどんな手札を持っているのかを知っていくステージから始まる。
ついでに思い出したけど、昨年まだインターンだった頃、「自分は問題なかった、あなたのやり方が悪いんじゃないのか?」とだけ聞き返されて会話が終わったこともあった。自分が問題視していることについて理解してもらえなかったし、結局どうしたらいいのかもわからなかった。
これも少なからず今助けを求めることを怖れるというパターンに影響している気がする。その時はその言葉を真に受けてしまい、ちょっとショックだった。
自分のやり方をまず疑い点検するのはパフォーマンスの向上に不可欠とはいえ、あまりにも疑いすぎて本当に最後の最後まで誰にも助けを求められなくなってしまうのは少し極端だと思う。
同僚が他の人たちに助けてもらっているのを見ても、その人が優れていて貢献しているから堂々と周りに助けを求める権利があり周りからも即レスしてもらえるのであって、自分は優れてないからきっと誰も手を貸したくなんてないだろうとかいうとんでもなく暗い考えが出てきてしまう。そんなはずではないと理解はしているし、特に仕事上でそんないちいち感情的になる必要ないとわかっているのに。
フルタイムで働き始めて3ヶ月目の中頃からは慣れと諦めにより当たって砕けろの精神になった。
どうせ誰も助けてくれないから勝手に失敗して痛い目を見て勝手に学んでいくしかない気がする。もちろん助けてもらえることもあるけど、そうじゃなくても落ち込むようなことはあまりなくなった。
長くなったけど何が言いたいかって、大変なら辛いなら周りに助けを求めなよと軽々しくアドバイスしないでほしいということ。