書いて聞いて歩いて食べて
色々とあって先週の週末から月曜日にかけて死にそうなくらい精神的に追い詰められていた。PMSに関係なくここまで落ち込んだのは久しぶりで本当に大変だった。今はもう落ち着いた。
「死にたい」と思ったことはこれが初めてじゃないけど、ここ数年で一番リアルに自分が死ぬことについて考えてしまった。自分と年齢がそう遠くはなれていない芸能人たちの自殺のニュースを最近たくさん耳にしたことも影響したのか。
自分の生活に気に入っているところもあるのに全部諦めたくなってしまった。
でもなんとか生き延びれば何か面白いこともあるかもしれないというのは頭でわかっていたし、自殺なんて怖い。
自分を故意に痛めつけて殺すようなことは絶対にするなと戒めるために、わざわざネットで特殊清掃現場の画像を検索してすぐに辛くなってブラウザを閉じた。
「死にたい」って思って泣くということはまだ死にたくないんだろう。「死にたいくらい辛い」というのが一番正確な表現だと思う。
なだめるために頭の中の言葉を全部書き出して、なんとなくまたネットを開いて「死にたい」って検索した。たぶんその時は死にたいくらい辛い時に死なずにどうしたらいいかという情報を期待していた。
基本的に出てくる答えは「一人で抱え込まないで、誰かに話してみよう」。こういう苦しいときに助けを求められるような人がいないからGoogle先生にぶつけているというのに。
Google先生は真っ先に相談先の電話番号を紹介してくれるけどどこにもつながらない。
唯一ネットで遭遇して救われた言葉は、自殺への欲求はだいたい10分くらいしか続かないということ。でもこれはその記事でも噂程度の扱いだから事実かどうかはわからない。とりあえずその夜堪えるには十分ありがたい情報だった。今すごく「死にたい」って思ってるけど、どうするかはまず10分待ってから決めようと。
自殺への激しい欲求は、10分間ぐらいの短い時間がピークだという説を、聞いたことある(出典はわからない)。人が実際に死のうとするとき、すなわち首にロープをかけてしまう瞬間は、練りに練って冷静にというよりは、むしろ、衝動的である場合のほうが多い。
思っていることを書き出し続けて泣き止んだのが大体21時だった。
夕飯を作る気にもなれず、思いっきり不健康でおいしいものを他に何もできなくなるぐらい食べてやろうかと思って、家から少し離れたマックまで歩いて行くことにした。
毎朝散歩するお気に入りの小道には全然街灯がない。数分前まで真剣に死ぬことについて考えていたのに、暗い小道に少しびびったり、飛ばしてるトラックにひかれないように小走りで信号を渡ったりしている自分が馬鹿馬鹿しく思えて涙はひっこんだ。
前の記事でも書いたように最近はラジオかPodcastをよく聞いている。
この日の夜歩いている間は、樋口聖典さんのPodcastチャンネル「樋口聖典の世界」をずっと聞いていた。
このチャンネルは「コテンラジオ」という別のお気に入りのPodcastで樋口さんのことを知ったのをきっかけに時々聞くようになった。
実用的な知識をシェアしたり自己啓発のための放送ではなく、日々思ったことを一人で車の運転中に10分話しているという放送。別にリスナーを励ましたりとかでもするわけでもないのになぜか聞いてしまう。
なんでだろうと思いながら聞いていたら、ご自身が「ビジネス系YouTuberの栄枯盛衰」という回で「友達の家に行くような感覚」と表現していた。何も達成するべき目的のない気楽さ。